close

無料会員登録

MUSTERに会員登録すると、あなたに合わせたコンテンツが
自動的に配信され、日々のスポーツに関する悩みを専門家に相談できます。

利用開始をもって《利用規約》
《プライバシーポリシー》
同意したものとみなします。

close

ログイン

パスワードを忘れた方はこちら

専門家がこたえる
スポーツメディア

MENU

【Rock and Hammer】NBAきっての名将から学ぶ Part.1

GREGG POPOVICH(グレッグ・ポポビッチ)

こんにちは。ダイス・ヤマグチです。

春ですね。朝、通勤路を歩いていると、いつも足早に歩いている方々が足を止めて桜に目を向けている姿を見かけます。季節を感じられることって良いなと改めて思わされる瞬間です。

四季があるから日本人の感性は磨かれて、繊細な感覚を身につけられるのでしょうね。改めて日本の素晴らしさを感じています。

僕が今になってそのように感じれるようになったのも、海外に住める機会があった事と、サンアントニオ・スパーズという様々な国籍を持つチームメイトやスタッフと共にいた事でそれぞれの文化を尊重する大切さを学べたからではないかと思います。

時間が過ぎれば過ぎるほど、スパーズという組織の中で学んだ事の大切さを身にしみて感じるようになりました。

その経験のなかでも、スパーズのヘッドコーチ(HC)であるポップという人物に会えたのは自分の人生にとって大きな財産となったと思っています。ポップは非常に厳格ながら、でも本当はユーモアが大好きな暖かみのある指導者として、NBA関係者に限らず、多くの人々から愛されている方です。

今回から2回に渡って20年以上スパーズを指揮し、東京オリンピックではアメリカ代表チームのHCを任されているポップことグレッグ・ポポビッチHCについて書かせて頂きます。


↑サンアントニオ・スパーズは先日20シーズン連続のプレーオフ出場を確定。ポップは21シーズン前にチームのHCに就任し、彼の2年目以降チームはプレーオフを逃した事がない。今年の2月4日には1,128勝目を手にし、1チームで獲得した勝利数がNBA歴代1位に。出典:Gregg Popovich passes mentor Larry Brown on all-time wins list - NBA.com

LEADING SMALL TEAM TO CHAMPIONSHIP(弱小チームをチャンピオンへ)

ある会社のマネージャーが会社の売り上げが悪い事を理由にセールス担当のスタッフを集めて怒鳴っていました。

「仕事ができないのであれば他から誰かを引っ張ってくるまでだ!もしフットボールチームが勝てていないのであれば、選手がクビになるんだから、それはうちの会社も一緒だ。そうだろ?」

と元フットボール選手の部下に問いかけると、

「えーと、もしチームが勝てないような問題があった場合、大抵僕のチームではコーチがクビになっていましたが……。」

と彼は言った。

これはジョン・C・マクスウェル(John C. Maxwell)が書いた”あなたがリーダーに生まれ変わるとき(Developing the Leader within You)”という本の冒頭にある一文です。

プロスポーツの世界ではチケットを売るためにも「勝つ」という事が非常に大切な要素となるので、いつまでも勝てないチームのHCは解雇されるのが当たり前です。

もちろん、チームが勝つためには選手個々の能力も大切ですが、その能力を活かすも殺すもHCの手腕に掛かっています。

サンアントニオ・スパーズは先月20シーズン連続のプレーオフ出場を決めました。そして今シーズンでポップがHCとなって21シーズン目。つまり、彼の就任2年目以降、チームはプレーオフを逃していないのです。

以前、ポップに「どうやってスパーズをここまでの常勝チームに築き上げれたのか」、と問いかけた際に彼は「選手達のおかげだよ。特にティムの存在は本当に大きい。彼がいなかったら今のスパーズのカルチャー(Culture, ”文化”)は作れていない。」と話していました。

▼参照

この20年間で5回のNBAチャンピオンとなり、現在のスパーズのカルチャーを作り上げるためにティムの存在が大きかったのは確かだと思います。しかしそれもポップのリーダーシップ無しではなし得なかった事だと僕は思っています。

事実、スポーツ専門ケーブルテレビESPNの公式スポーツブログ「Grantland」で取り扱われたPoppo's Boysという記事では大学3部の弱小チームをリーグ優勝に導いた頃のポップについて書いてありました。

▼参照
Poppo's Boys

読んでみると、ポップのコーチングスタイルはこの頃にはすでに確立されていたように思えます。

今回はこの記事を元に、ポップが弱小チームをどのようにして勝てるチームへ育てたのかを現状把握と方向転換リクルート人間関係チームビルディングという4つの要素に着目して解説してみようと思います。

EVALUATION AND CHANGE(現状把握と方向転換)

NBAでのキャリアをスタートさせる前、ポップはロサンゼルスから車で1時間ほど東のクレアモント(Claremont)にあるポモナ&ピッツァー・カレッジ(Pomona and Pitzer Colleges)のバスケットボールチームでHCを務めていた。このチームは全米大学体育協会(NCAA)の3部(Division3)に所属するポモナ・カレッジとピッツァー・カレッジの2つの大学がどうにか部活動を行えるために部門を一つにまとめたというほどの、規模の小さなチームだった。

3部に所属する大学は原則として奨学金を支払って選手を集めることはできない。そしてポモナ・カレッジはハーバード大やイェール大といったアイビー・リーグの大学にも肩を並べるほど優秀な学生しか受け入れず、ピッツァー・カレッジもまた同様に成績の良い学生ばかりが集まった大学だ。

規模が小さく、勉学を得意とする学生ばかりが集まった当時のチームはサイズ、素早さ、シュート力、体力面、センス、どの点においても乏しく、アメリカの大学の中でも1、2を争うほど弱かった。


↑ポモナ&ピッツァー時代のポップ。出典:Poppo's Boys

ポップがHCに就任した当初、大学では様々な課外活動のため部活動に参加する選手は少なく、5対5ができる人数を揃える事すら難しかった。そのため、練習では4対4を行う事が多くなった。ただし4対4を行う時、オープンスペースが増えるからかチームは5対5を行う際よりも”ギクシャク”する事なくパスや切れ込みをスムーズに行っていた事にポップは気づいた。

ある日ポップは敢えてコート上の5人目の選手をオフェンスに参加させず、相手のディフェンダーひとりをおびき寄せるだけという役割を与えて試合に望ませた。するとパスがスムーズに渡り、質の高いシュートチャンスを作る事ができるように。

「彼はマジシャンのようだった。どうにかして僕らがうまく機能する方法を探し出そうとするんだ。」と、ポップが最初にコーチを担った選手は言う。

しかしそんな策も一度相手にバレてしまうと、タレントの揃っていないチームではどうしようもない。結果ポップの1年目のシーズン、チームは2勝22敗と散々な結果となった。

ただ、選手たちはチームの”変化”に気づいていた。

「ポポ(当時のニックネーム)は毎回負けるたびに本気で悔しがっていたんだ。毎試合毎試合を本当に”ケア”(Care: 気にかける、思いやる、大切にする)していた。ポップがチームを指揮するようになるまでは、どんなに負けようとも誰も気にはしなかった。怒鳴りちらす人もいなかったし、誰も罵られる事もなかった。勝とうが負けようがどうでもよかったんだ。それが突然変わったんだ。」

1年目のポップはまず、自分の参加したチームがまともに練習をできない状況にいると把握し、その中でチームを改善させるための策を考えました。

しかし改善策を与えてもチームは勝てないまま。

それでも負けた事をあまり気に留めないチームに対し、思いをチームにぶつけ続ける事で選手の意識に変化が起こり出したことがわかります。

RECRUIT(リクルート)

ポップはさらなる変化をもたらそうとする。

初めにチームのコーチに就任したその瞬間から翌シーズンのチームの事も視野に入れて動き出していた。どんな策略を立てようとも、最低限の能力のある選手がいなくては勝つことはできない。

そう考えたポップは、これまでのポモナ&ピッツァーではあり得なかった行動に出た。そう、有力な選手のリクルートだ。

まずポップが始めたのはできる限りの高校に手紙を書くことから。

自分が誰か、そして何を必要としているか……。バスケットボールができる事、そしてポモナ、もしくはピッツァー・カレッジのいずれかに進学したいという意欲があること。

しかしそうそう簡単に事は進まなかった。

ある選手はバスケットボールが上手くても勉強ができない。次の選手は勉強はできるがレイアップすらまともに入れられない。

それでもポップは候補となり得そうな選手を見つけては電話で精神的タフさ、運動能力、そして授業の成績について聞き出し、選手がプレー中の動画を持っているのであればそれをチェックし、選手が比較的近くに住んでいるのであれば直接訪れる、という事をしながら候補者のリストを絞って行った。

「ポポはそういった過程を非常に大切にしていた。それがいかに面倒で時間のかかる作業であったとしても、”正しいこと”のためにはそれ以外の選択肢はなかった。」と当時彼のアシスタントコーチだったチャールズ・カツィアフィカス(Charles Katsiaficas)は言う。

彼ははそういったリクルートの過程が”好き”だったのだ、と彼を知る人は口を揃える。彼がリクルートのために送る手紙は非常に美しく、選手がバスケットボールと勉学の両立を望むのであればポモナ&ピッツァーがいかに素晴らしい場所かを熱心に伝えていた言う。

「どこまで本気だったのかは定かではないけれど、ポポは他のどのリクルートをしにきた人よりも私の事を”ヒト”として(選手としてだけではなく)ケアしてくれていたと感じた。彼は私と言う人間に対して心から興味を示してくれ、どんな人生を送ってきたか、もしくはその後送りたいのかを知ろうとしてくれた。」と話すデイヴ・ディセラス(Dave DiCesaris)はディビジョン1の中堅のチームに入れるチャンスを断って奨学金ももらえないポモナ・カレッジへの入学を選んだ選手だった。


↑当時ポップが選手に送ったリクルート・レター。大学の魅力が誇張や偽りなく語られている。非常にポップらしい誠実な内容であることがわかる。出典:UPROXX This Rare College Recruiting Letter From Gregg Popovich Is As Bland As Youd Expect Comments Feed

どんなに良いコーチングをおこなったところでも、能力のある選手がいなくてはチームは勝つことができないもの。

できる限り多くの選手に大学の魅力を伝えるために多くの手紙を書き(写真参照)、チームのみならず大学にも興味を持ち、フィットできる選手を探し出す作業をポップは地道に行っていたようです。

ポップが選手をバスケットボールの駒としてではなくヒトとして、成長を誠実に思う気持ちがデイヴ・ディセラスにも伝わったのでしょう。

RELATIONSHIP(人間関係)

ポップは選手たちの勉学とバスケットボールとのバランスについてもよく理解していた。

勉強をしなくてはいけない、レポートを書かなくてはいけない、ミーティングに出なくてはいけない、と言う選手たちには快く練習を休ませた。

時には1学期間留学しに行く選手を見送り、シーズン途中に帰ってきた彼らを受け入れ、いきなり試合でプレーさせたりもした。

積極的に大学の授業でも講義をし、委員会では委員長となったり、教授達と政治や哲学についてワインを片手に討論する事もよくあった。

時にポップは選手達を彼の宿舎に招待して食事を共にし、また時には彼らの母親に手紙を送って授業での成績の良さを褒めたりもした。

補欠の選手の両親がはるばる試合を観に来ていると知れば、その選手を試合に出し、チームのマネージャーが学年の生徒会長に立候補した時は彼女のポスターを体育館の隅々に貼り付け、彼女のライバル達のポスターを剥がした(そして彼女は選挙に勝利した!)。

シーズン始め、試合でスーツを着ていた彼だったが、時が経つにつれジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、そしてシーズン終盤にはグレイのフード付きスウェットシャツとスウェットパンツを身につけサイドラインを飛び跳ね回っていた。

「ポップは我々のキャラクターをわかってくれていたんだ。彼は常に我々と同じ視線を持っていてくれた。どんなに苦しい時も一緒に苦しんでくれた。」と当時のポイントガードだった選手は口にする。


↑ファイナルで負けた後でも笑顔で相手に祝福を言うポップ。そんな彼の事を誰が悪く言うのだろうか。出典:LeBron James thinks he and Popovich could have been 2 peas in a pod

ワインや食事はおそらくポップにとってヒトと繋がるために重要なツールであるのかもしれません。

スパーズでも暇さえあればチームのスタッフや選手を連れて食事に出かけていました。

仕事以外の事で時間を共有し、様々話す事でお互いに打ち解けることができます。選手の両親を想ったり、生徒会長立候補の後押しをしたり、服装をラフにしたことにより選手達との距離がさらに近まったことも想像できます。

また学業を優先させ、自らも大学での活動に参加する事で選手達に学びの大切さを伝えていたのではないかとも思えます。

TEAM BUILDING(チームビルディング)

彼がポモナ・ピッツァーのHCに就任して4年目にはチームは弱小から中堅のチームへと成長していた。淡々と、しかし頻繁に戦術を変えながら効率の良いバスケットボールのスタイルを展開していた。

「あるコーチ達は自分のシステムにはめ込むために選手をリクルートする。でも我々の場合良い選手が来てくれれば幸いで、練習にこれる選手に合わせてシステムを作り変えていた。」とカツィアフィカスは言う。

サンアントニオ・スパーズはパスを主体としたチームバスケットボールで近年バスケットボール界を沸かせたが、当時のポモナ・ピッツァーバスケットボールチームの成功はリーグでナンバー1だったデイヴ・ディセラスという選手がいたからであった。

しかしその年、チームはそんなスター選手をもう少しのところで失うところであった。サンクスギビングの日が間近に迫っていた頃、ポモナ・ピッツァーはサンディエゴで行われた2つの遠征試合を落としてしまった。

ポップは選手達のパフォーマンスの悪さに腹を立て、チームをバンに乗せ、レストランでのチームディナーをすっぽかし、数時間運転を続けて大学のキャンパスにある体育館まで連れ戻し、罰として選手を走らせた。

ディセラスは苛立った。しかしコーチに対してではなく、チームメイトに対してだ。彼の人生でこんなにも試合で負けたことはない。彼は走った。怒り狂った。そしてチームメイトに対して怒鳴り、手元にあったボールを投げ飛ばした。

ポップはそんな彼を厳しく、冷たい目で睨みつけ、「出ていけ。お前はもうこのチームに必要ない。」と言いつけた。

ディセラスはその場を立ち去り、何をすればいいのかわからぬままキャンパスを途方もなく歩き回った。

彼がポモナ大学に入ると決めたのはシュートをバンバン入れ、何の苦もなくダンクを決めれるものだと思っていたからだった。自分はこの大学にフィットできていたのだろうか……。彼はわからなくなった。

バスケットボールを失った今、何ができるのだろう、と。

練習の後チームのキャプテンであるダン・ダーガンがポップに歩み寄った。

彼はポモナ・ピッツァー唯一のディビジョン1レベルのタレントをポップが追い出してしまった事を理解していた。そしてコーチに言った、「デイヴは僕らのチームになくてはならない存在です」と。

ポップは頷いた。彼はディセラスを宿舎に呼び、チームに戻るようにと伝えた。

「あの瞬間、私の人生は変わったんだ。」とディセラスは言う。翌シーズン、ポモナ・ピッツァーは68年ぶりにカンファレンスチャンピオンとなった。

そしてディセラスはMVPに輝いた。

良いコーチの下に能力ある選手が揃ったからと言ってチームが優勝できるとは限りません。

チーム内のケミストリー(化学反応)も非常に大切となります。チームに合うはずであった戦術を選択しても連敗を喫してしまったチームに罰を与えたポップ。

一見クレイジーなコーチのように思えますが、必要でない限りポップはこの様な事はしません。

結局”スター”選手であると自らを考えていたディセラスは爆発し、その想いをチームにぶつけます。

その自分勝手な考えにポップは怒り、彼をチームから追い出してしまいました。


↑相手が誰であろうと、場所がどこであろうと怒る時は怒る。だからこそ選手はポップを信頼し、チームはひとつになれる。出典:If Spurs lose, it will be on Pop

バスケットボールの勝敗ばかりにとらわれるコーチであればスター選手がどんな理不尽な事をしようともその選手を特別扱いしてしまいますが、ポップにとってそんな事は関係ありません。

誰に対しても一貫した態度を貫く。

他人に対して想いやる事ができず、自分のことしか考えられない選手はチームにいらない。NBAだろうが大学3部の弱小チームだろうが彼の考えは変わりません。

その後チームのメンバーを代表したダーガンの言葉を聞いてポップは選手達の結束が高まった事を感じたのでしょう。

ポップはディセラスを呼び戻し、翌シーズンチームはチャンピオンとなるのです。

“CARE” LEADS TO RESULT(”ケア”する気持ちが結果に繋がる)

ポモナ&ピッツァーがカンファレンスチャンピオンとなった数年後、ポップは後にバスケットボールの殿堂入りを果たしたラリー・ブラウンに誘われてNBAの世界に足を踏み入れる事になる。

しかし当時、ディビジョン3の教え子達は彼がNBAに入り、成功を収めるとは予想もしていなかった。

アシスタントコーチであったカツィアフィカスも、そしてポップ自身ですら、だ。ポモナ・ピッツァーにいた頃、後のスパーズのリーダーはNBAには無関心だった。そしてNBAに行こうと言う野心すらなかった。

「ポップは自身のキャリアについては本当に無関心だった。でも、自分の仕事のことは本当に、本当に、”ケア”していたよ。」とカツィアフィカスは言った。

スパーズのチーム練習時間は非常に短いと多くから言われることがありました。シーズン中の練習で2時間を超えることはほぼ無く、シーズン前の合宿でも精々おこなって2時間の2部練を2、3日だけ。

それでも毎回練習の目的は明確で、無駄な時間が全くありません。コーチ陣は練習前にミーティングを重ね、選手一人一人、ポジションごと、そしてチームとしての目標を明確にし、練習用のスケジュールを作ります。

少しでも練習がだらければ何らかの罰が課せられます。選手が原因の場合はチーム全員を走らせたり、スタッフが原因の場合は皆の前でポップの雷を食らうことに。

そのため練習中はピリピリとした雰囲気があり、誰もだらだらと過ごす人はいません。下手に3時間4時間と練習をするよりもキツイ内容になります。

時に必要とあれば、ポップは練習のスケジュールを無視したメニューを取り入れることも有ります。また疲労のためにどう頑張っても選手の気合が入らないと判断すれば、開始5分しか過ぎてなくても練習を中止します。

そのような練習の組み方についてポップは「ポモナ&ピッツァーでの経験が活きている」と話していました。

選手達の大学での学業を優先させながらバスケットボールでも結果を出すためにはそういった効率性が問われたからだということでした。面白いことに現NBAの多くのヘッドコーチ達(※下記参照)が大学の3部リーグでプレーをしていたという経緯もあります。

限られた時間と環境の中で結果を出そうとする意識がポップを始めとする名コーチ達を産み出しているのかもしれませんね。

次回はポップとの体験談を交えながら、”あなたがリーダーに生まれ変わるとき(Developing the Leader within You)”という本に記載されているリーダーシップの5つの段階NBAでのポップのリーダーシップを照らし合わせた話をしたいと思います。

※スタン・バン・ガンディ(デトロイトHC)、トム・シボドー(ミネソタHC)、ブラッド・スティーブンズ(ボストンHC)、デイビッド・イェイガー(サクラメントHC)、フランク・ヴォーゲル(オーランドHC)、スティーブ・クリフォード(シャーロットHC)、マイク・ビューデンホルツァー(アトランタHC:ポモナ&ピッツァーでポップの教え子)